为啥瓷勺在日本被叫做“莲花”?中日两国不同的“勺子文化”
2021-02-20 月人刀子木央 22504
正文翻译

中華料理店でチャーハンを食べる際、「れんげ」が出されることがあります。途中までは問題ないのですが、残り少なくなってくると取りづらくなり、ご飯が数粒残ってしまうことはないでしょうか。そもそも、なぜ、れんげが中華料理の食器として定番なのでしょうか。チャーハンを中国人はどうやってきれいに食べているのでしょうか。ノンフィクション作家で中国社会情勢専門家の青樹明子さんに聞きました。

在中华料理店吃炒饭的时候,有时会给你汤勺(瓷勺)。吃饭中途是没有什么问题的,当碗里剩余的饭越来越少的时候,就开始舀不起来了,导致最后就会残留几粒剩饭,是不是有这样的情况呢?说到底,为什么,瓷勺是作为中华料理的基本食器呢。让我们来问问研究中国社会情势的专家青树明子女士(非小说作家)吧。

名前の由来はハスの花

名字的由来是莲花

Q.そもそも、れんげとはどういうもので、中国ではどういう食器として位置づけられているのでしょうか。

瓷勺是怎么样的呀,在中国的食器当中占据怎样的位置呢?

青樹さん「『ちりれんげ』、略して『れんげ』はいずれも日本語です。名前の由来はハスの花(蓮花=れんげ)の花びらに形が似ているからといわれます。平安時代、中国から日本に伝来し、平安朝の貴族社会では、しゃもじの役割、つまり、ご飯をよそうものとして使われていたそうです。
青树:“瓷勺,还有一个略称叫‘れんげ’,这两个都是日语。名字的由来是瓷勺的形状和莲花(莲花=れんげ)的花瓣相近。平安时代,从中国传到日本,在平安时代的贵族社会当中,被当做饭勺所使用,也就是说,是作为盛饭的器具使用。”
中国語ではスプーンのことを『勺子(シャオズ)』といい、れんげも『シャオズ=スプーン』の一種です。強いて言えば、『中国式スプーン』という解釈でしょうか。中国でも、とても身近な食器で食卓では必ず目にします。

中文当中,可以把我们现在用的“spoon(勺子)”叫做勺子,瓷勺也是勺子的一种。硬要说起来的话,可以解释成是“中国式勺子”。在中国,是非常常用的食器,在饭桌上是一定可以见到的。

スプーンの一種なので、日常的な食器で、主にス-プやおかゆを食べるときに使います。日本ではスープやご飯をよそう場所はキッチンですが、中国の場合はテーブルに大きい器を置いて、個人によそっていきます。

因为是勺子的一种,在日常生活中所使用的食器里面,主要是用来喝汤或者喝粥的。在日本,盛饭或盛汤的地方在厨房,在中国的话就是在桌子上放一个很大的容器,每个人自己去盛。

その際、大きなれんげ(スプーン)、つまり、シャオズの大きなものを使って、個人の小さなおわんによそっていきます。そして、個人用の小さなれんげがそれぞれの前に置かれ、スープやおかゆ、チャーハンを食べるのです。

这种时候,就要使用大瓷勺(勺子),也就是用大的勺子把汤或者饭盛到个人使用的小碗里面。然后,供个人使用的小瓷勺就会放在每个人的前面,用这个小汤勺来喝汤、喝粥、吃炒饭。

そのほか、れんげを必ず使うのは小籠包(ショウロンポウ)を食べるときです。れんげの上に小籠包をのせて、皮をつついて破り、スープを出して飲んでから、肉と皮の部分を食べるのが一般的です」

另外,必须使用瓷勺的是吃小笼包的时候。一般都是把小笼包放在瓷勺上面,把小笼包的外皮刺破,喝掉从里面流出来的汤汁,然后再吃肉和皮的部分。

Q.れんげにも種類があるのでしょうか。

瓷勺也有不同种类吗?

青樹さん「先述したように、個人用のものと大皿に添えるものでは大きさが違います。中国では、大皿に添えるものはかなり大きくて、柄も長いものです。

青树“就像刚才所说的那样,个人用的瓷勺和用在大容器的瓷勺大小是不一样的。在中国,跟大碗(盆)放在一起的勺子很大,勺柄也很长。”

れんげの形は日本も中国も基本的に同じですが、私が日常使っているれんげは中国で買ってきたもので、日本でよく見るものと比べると小さめだと思います。材質は陶製のものが多いですが、ファストフードではプラスチック製のものが使われます。

瓷勺的形状上来看,日本和中国基本是一样的,我自己日常使用的汤勺就是从中国买的,和在日本常见的那种勺子比起来的话,我的那个更小。材质多是陶瓷,在快餐店这种地方的话,会使用塑料制的。

そういえば、日本のれんげはラーメンのスープ用に添えられていることがありますが、丼の縁にひっかけられるようになっているものがありますよね。あれは中国では見たことがありません」

对了,说起来,日本的汤勺也有被用在喝拉面汤的时候,有那种挂在大碗的边缘的对吧。那个我在中国没看到过。

Q.チャーハンを食べる際、日本の中華料理店で出されるれんげを使うとご飯粒が残りがちです。なぜ、食べにくいのにれんげを使うのが当たり前なのでしょうか。

在吃炒饭的时候,用日本的中华料理店那种汤勺,就会很容易剩下饭粒。为什么,还要这样理所当然地使用吃起来不方便的瓷勺呢?

青樹さん「まず、中国でチャーハンをいただくときはお皿ではなく、お茶わんのような白い小ぶりのおわんで食べます。これはスープとチャーハンにつかう器で、お皿だとチャーハンは食べにくいと思いますが、おわんだと食べやすいです。

青树“首先,在中国吃炒饭不是用盘子吃的,是用像茶碗那样白色的小小的碗吃的。这是喝汤和吃炒饭时使用的食器,如果用盘子吃炒饭的话,我觉得确实是不太方便,如果是中国的那种碗的话吃起来就容易了。”
原创翻译:龙腾网 http://www.ltaaa.cn 转载请注明出处


また、中国人は食事のとき、必ずスープを飲みます。日本人が定食でみそ汁やお吸い物を飲むのと同じだと思ってください。チャーハンが出てくる食卓には必ずスープが付きます。そして、一つのれんげをチャーハンにもスープにも使います。れんげにご飯粒が残っていてもスープを飲むとき、一緒に口に入れればいいのです」

另外,中国人在吃饭的时候,一定会喝汤。你就把这想成日本人在吃定食(日本传统料理的一种属于饭类,饭都定在250克,里面的配料也都是标准化)的时候,会喝味增汤或者其他的饮物,是一个道理。如果有炒饭的话,饭桌上必然会有勺子。然后,一个勺子既能吃炒饭,又能喝汤。勺子上粘上饭了,就在喝汤的时候,一起吃掉就好了。
原创翻译:龙腾网 http://www.ltaaa.cn 转载请注明出处


Q.とはいえ、お皿でチャーハンが出てきたら、お皿にご飯粒が残りそうです。中国では、食事はいくらか残した方が「おなかがいっぱいになって満足しました」という意味で、礼儀として正しいと聞いたことがあります。「残さず食べるのが礼儀」とされる日本との違いも関係しているのでしょうか。

虽说如此,要是炒饭用盘子装,盘子就会剩下饭粒。在中国,我听说吃饭的时候要剩下一点才算是“已经吃饱了”的意思,剩下一点在礼仪上才是对的。在日本则是相反,吃的一点不剩才是对的,这一点上也有关系吧。

青樹さん「確かに、ご飯粒を残さないのは日本人の作法です。ご飯を残すのを中国人が気にしないのも事実です。ただ、それは中国人の礼儀とは別問題です。ご飯粒程度は『食べ残し』に入りません。

青树“确实,吃饭要一点不剩是日本人的做法。中国不在意剩饭这一点也是事实。但是,这和中国人的礼仪又是两回事了。只是剩下几粒饭粒的话不叫剩饭。”

もっと多く残すのが『礼儀』です。中国では『お皿が空っぽになるのは接待する側の礼儀に反する、だから、いっぱい注文する』というのが接待の基本です。接待される側は食べ物を残した方が相手の礼儀に応えることだとされてきました。もっとも、最近は食品ロスが社会問題化しているので、政府が『食事を残さないように』と呼び掛けていますが」

剩的再多一点才是“礼仪”。在中国,让客人剩空盘子对于主人这一方来说是于礼不符的。所以,会点好多菜。这样的做法是接待客人的基本。而对于客人一方,留下一些食物才是对的。但是,最近剩饭剩菜问题已经成为社会问题了,政府也在呼吁不要浪费粮食。

れんげを使って、チャーハンを残さず食べるコツがあれば教えてください。あるいは、箸を使った方がよいのでしょうか。

请告诉我如何使用汤勺而不剩下饭粒的小妙招吧。或者,还是使用筷子更好?

青樹さん「中国でもチャーハンを食べる際、箸を使う人はけっこういます。先日、ネット上で話題になったのが『チャーハンを食べるとき、あなたはスプーン(れんげ)派? お箸派?』という議論で、れんげ派が多かったものの、お箸派もそれなりにいたようです。 れんげ派は『口を大きく開けて頬張る幸福感はお箸では味わえない』と主張。例えば、卵チャーハンは卵、肉類(ひき肉が多い)、豆、ご飯を、れんげで一緒に口の中に入れます。『箸は具材をつまむのが面倒くさいし、ちょこちょこ口に入れるより、れんげで一度に食べる方がいい』と言っています。

青树“在中国,吃炒饭的时候,也有很多人使用筷子。前几天,在网络上也有一个话题引起热议,‘吃炒饭的时候,你是勺子派?还是筷子派?’”,尽管勺子派的人数更多,但是筷子派也有一定的数量。勺子派的主张是,大口大口的幸福感是筷子体验不到的。比如说,吃蛋炒饭的时候。因为蛋炒饭里有鸡蛋、肉类(肉沫很多)、豆子、米饭,可以用勺子一起吃进嘴巴里。用筷子一点一点夹很麻烦,比起慌慌张张的用筷子夹着吃,用勺子一次性解决更好。

一方のお箸派は『高級店でチャーハンを食べるときは断然おはし! れんげは子どもみたいで嫌だ。お箸できれいに食べるのが上品。れんげで食べるとお皿の外にこぼしてしまう。うまくすくえないし、品がない』と主張しています。

另外筷子派的意见则是,在高级料理店吃炒饭肯定是用筷子!用勺子跟小孩子一样,不要。用筷子就能优雅的吃炒饭,档次高。用勺子吃的话就会弄到盘子外面。不能很好挽救场面,没面子。

ちなみに『両方使う』派もいます。パスタの店で日本人がスプーンとフォークを一緒に使う感じです。左手にれんげ、右手にお箸を持って、お箸でれんげにチャーハンを入れて、頬張るのです。中華料理はほかの国の料理と違って、比較的作法に厳しくなく、料理が温かくて、大勢でにぎやかに食べることの方を大切にします。ご飯粒が残っても、チャーハンの粒が飛んでも平気です。

还有,也有人两个都用。就像在披萨店,日本人一起使用勺子和叉子那样。左手拿勺子,右手拿筷子,用筷子把炒饭弄到勺子里,大口吃。中华料理和其他国家的料理不一样,相对来说做法上不那么严格,吃上热腾腾的饭菜,大口吃,热热闹闹地吃是最重要的。剩下一点饭粒,或者饭粒掉出去了都是没关系的。

小ぶりなおわんにチャーハンを取り分けてから食べれば、れんげでも食べやすいと思いますし、適当な器がない場合には『れんげだけで、いかにきれいに食べるか』なんて気にせずに、中国のお箸派や『両方派』に倣って、食べやすい方法で楽しくチャーハンをいただけばよいかと思います」

用小碗分盛炒饭来吃,那么就算用勺子吃起来也很方便,如果没有合适的食器,就不要在意只靠勺子,如何把炒饭吃干净了,可以模仿中国的筷子派或者两者都用派,用吃起来容易的方法吃就好啦。

评论翻译
根本的に日本と違うな、と思うのは、日本には「炒飯セット」や「半ちゃんラーメン」などのセットメニューがあって、最初から炒飯を食べたいと思う人が炒飯を注文しますが、中国では、炒飯はいくつかの料理と一緒に「ごはん」として食べたり、料理を食べたあとの「しめ」として食べたりするもので、中国のレストランに行って炒飯だけを注文することは(安い麺とご飯ものだけの食堂の場合は別)あまりない、ということです。そのようなシチュエーションの違いもあり、中国で炒飯を食べる際は、お茶碗のようなおわんに取り分けて食べることが多いのです。

我认为和日本最根本的不同,是日本有“炒饭套餐”和“半炒饭半拉面”这样的套餐菜单。一开始,想吃炒饭的人点了炒饭,在中国,炒饭是和几个菜一起吃的“米饭”,或者是吃完菜之后作为零嘴来吃的。在中国,去饭馆里只点一碗炒饭是基本上没有的(便宜的面馆和饭馆就另说了)。有这样的差异在,在中国吃炒饭的时候,很多时候用像日本的茶碗那样的碗来分盛。

ちなみに、記事にあるように、日本のレンゲの端はどんぶりのふちに引っ掛けやすいように丸くなっていることも多いのですが、最近の中国では、逆に陶器のどんぶりのほうに、少しだけ切れ目があり、そこにうまくレンゲを引っ掛けることができ、レンゲが器の中に落ちないように工夫されていることが多いです。

顺带说一句,就像报道里说的那样,日本的勺子的末端是比较好挂在大碗的边缘的,末端是圆的,最近在中国,反而是陶瓷做的大碗那样的碗比较少见,而在碗上能够挂住的勺子更多见,因为这样勺子就不会掉到碗里去了。

初めて中国で料理をご馳走になった時、無理に全部食べたら相手が追加注文していたのでさらに無理して食べたら相手がさらに追加注文をして焦った。
日本では残さない、中国では残させる、と言う食文化の違いをお互いに理解していなかった。

第一次在中国被人请客吃饭的时候,我已经很勉强的把饭全部吃完了,结果主人又点了几个菜,我又很努力地吃完了,主人再加,搞得我很焦虑。
那个时候我没有理解中日两国之间食文化的不同,日本是不能剩菜的,而中国是要剩菜的。

なぜ中国でご飯を残すのがマナーかというと。
お客さん側が出された料理を全部食べきってしまうと、招待した側は、「足りなかったんじゃないか?」と心配するのです。
もてなしとしては、それは失礼なことだから。
だから、遠慮して「おかわり」とか「もっと食べたい」と言い出せないんじゃないか?と思って、また出してくるのです。
それも優しさです。
ですから、お客側が食事を残して「もうお腹いっぱい、もう食べれません」と意思表示がマナーなのです。
中国ではお客さんが来ると、真っ先に「ご飯食べた?」と聞かれますね。

要说为什么在中国剩饭菜是礼仪的话,那是因为客人如果把主人端上来的饭菜全部吃完的话,主人就会担心客人是不是没吃饱啊。
这也是为客人着想。所以,客人会把饭菜剩下来,表示“我已经吃饱了,已经吃不下了”的意思,这是中国的礼节。
在中国要是有客人来了,开始就会先问一句“吃了吗?”

日本でも田舎の親戚に行くとこれでもかと料理が出てくる。
もてなしたい気持ちはどの国も基本的には変わりないと感じて良い。

在日本,去农村乡下的亲戚那里的时候,也会说“吃这么点就够啦?”,然后端出很多菜。
待客之道是无论在哪个国家基本都不会变的。

中国は元々貧しい国だから、料理を残すことで「充分満腹になりました」という感謝の気持ちを表していると聞いたことがある。

我听说是因为中国原来很贫穷,所以要通过剩下饭菜来表达“已经吃得很饱了”。

>中国で作られている料理をそのまま再現したのが「中国料理」。
中国料理を日本人の味覚や好みに合うようにアレンジしたのが「中華料理」。
中国に行っても中々日本で見る「中華料理」にお目に掛かれなくて、上海で回鍋肉、青椒肉絲、担々麵を見て感動して写真を撮ってしまった。
焼き餃子とか現地で絶対見る事は無い

将中国当地的料理原模原样呈现出来的是“中国料理”。
将中国料理按照日本人的口味改良过的料理叫“中华料理”。
去了中国也见不到在日本能看到的“中华料理”,在上海我看见了回锅肉、青椒肉丝、担担面,感动死了,我还拍了照。
至于煎饺我在当地绝对没见过。

中国じゃなくて韓国の話で申し訳無いのだが、韓国も残すのがマナーというのは知っていたけどすっかり忘れていたんだけど、あるお店に入って注文したら添え物で辛い漬物みたいなモノが出てきた。それは今まで生きてきた人生で一番辛いモノだった。辛過ぎるモノを食べると人は冷や汗が出るもんなんだって学んだほどだった。それでも残したらいけないと思ってなんとか食べきったんだけど、そうしたら店のばーさんが黙っておかわりを持ってきた。そこで韓国は食べ残すのが文化というのを思い出して「これが文化の違いか!」と身を持って体験した。そのあとメイン料理を食べたんだけど味が全くわからなかったのは良い思い出だな。

我要说的不是中国而是韩国,虽然我知道在韩国剩饭是礼节但是我完全忘了,进了某家店点完菜之后上来像辣的渍物那样的东西,那是我这辈子吃过的最辣的东西。吃了那个之后,我终于体会到原来吃太辣的东西人是会出冷汗的。即使是这样,我也是秉着不能剩下,必须吃完的信念吃掉了,然后店里的老板娘默默地又给我上了一盘。于是我才想起来在韩国剩饭剩菜是他们的文化,真是切身体验了一把。不过那之后吃主菜,完全不知道是什么味道了,这也是不错的回忆啊。

ヨーロッパでも残すのがマナーな時代がありましたよね。
食糧を無駄にするなって事で廃れたみたいだけど。
もう無理って時は別として、腹がよくなってきても旨いモノはあと少し全部食べようと思うし食べる。
中国では宴会で酒を飲むときも飲んだら盃を伏せないとドンドン注がれて、注がれたら飲む、主賓が止めないと皆が延々飲む事になると言う風習の地域が有ったとか。

欧洲也有一段时候剩菜是礼仪的。
不过好像因为不准浪费粮食被废止了。
真的吃不下的时候就另说了,只要肚子还有一点空间,美食还有一点就会全部吃掉。
中国的宴会上也是,有些地方的风俗是,要是把酒杯里的酒喝完了,还没把杯子倒扣过来的话,就会一直往你杯子里倒酒,倒了就要喝完,只要主宾没有停下来,大家就都得继续喝。

>もっと多く残すのが『礼儀』です。中国では『お皿が空っぽになるのは接待する側の礼儀に反する、だから、いっぱい注文する』というのが接待の基本です。
韓国も残すのを前提に食べ切れないほどたくさん注文して、残ったものを持ち帰る習慣が昔からあったようです。
最近は持ち帰る前提が薄れているようで、単に残していく人が多いみたいですが。
流し読みなので見落としたかもですが、レンゲでキレイに食べるコツありました?そこを期待して読んだのですが。

>剩的多一点的才是礼仪。在中国,待客的基本就是“盘子空掉对于主人这一方来说是不合礼仪的,所以才会点很多菜。”
韩国的前提也是剩菜,点的菜一般都吃不完,以前就有把剩菜打包带回家的做法。
最近打包的人越来越少,更多的人只是单纯的剩饭剩菜。
我草草的浏览了一遍,可能有遗漏,有能够用勺子干净地吃炒饭的小窍门吗?我是想看这个才点进来的。

> 日本では残さない、中国では残させる、と言う食文化の違い
そういうものがあるんですね。そういえば一昔前、茨城県に近いとある中華料理店に入ったところ、頼んではいない春巻きや餃子などの食品が次々と自分のテーブルに置かれ、驚いて これ頼んでないんですけど…
と言ったら、サービスですと言う答えが返ってきたけど、中国の文化から来てるのかなあ。

中日食文化的不同,就是中国剩菜,日本不剩。
确实是的。说起来很久以前,我去过茨城县附近的一家中华料理店,春卷、饺子之类的一样样端上来放在桌子上,我很吃惊,因为我没有下单啊……
我跟店家说了以后,他们说是免费送的,这也是中国文化当中来的吧。

中国の接待は何度か経験しましたが、本当に量が多いですね。半分以上、お皿が残ることもよくありました。
アメリカも同様に量が多いので残します。そして、持ち帰り箱が普通です。
両国が食糧廃棄問題を高らかに世界に叫んでいますが、もともと問題が大きかった国だからです。他の国はそんなにそこまで残しません。

我有过几次来自中国的接待,量是真的很多。盘子里剩了一半以上的情况是经常有的。
美国也是一样,量也很多,所以会剩下。然后,一般都会有打包盒。
虽然世界上现在中国和美国的浪费粮食问题是比较严重的,但是这两个国家的粮食问题本来就不太严重。其他国家不会剩这么多。

残すのが礼儀、そのお国ではそうなのかもしれないけれど日本ではそうではないので…
近所の中華料理屋では金属のスプーンを出してくれるので、非常に助かる
出されたものをちゃんと食べる、個人的には残すよりもそちらの方が遥かに気が楽だ

剩饭是礼仪……中国也许是这样,但是日本却不是,所以……
我家附近的中华料理店有金属制的勺子,真是太棒了。
端上来的料理可以吃干净,个人来说,还是觉得吃干净更合我的意,而不是剩下饭菜。
原创翻译:龙腾网 http://www.ltaaa.cn 转载请注明出处


日本なら最終手段として、皿を持って掻き込むって手もある。
>パスタの店で日本人がスプーンとフォークを一緒に使う感じです<
あれって向こうでは「フォークだけで食べられない子供がやる方法」であって、大人は普通はやらないんだよな。
昔「フォークの背にご飯を乗せていた」のと同じで、間違ったマナーが広まってると思う。

日本的话作为吃饭的最终手段,也是有扒着盘子狼吞虎咽的人的。
>感觉披萨店里日本人是勺子和叉子一起使用的<
这个的话在中国,只有孩子会这样做,因为单单用叉子没法吃,大人一般不会这样。
我觉得这跟以前“叉子背面沾上了饭”一样,是不正确的礼仪在传播。

「れんげ」が陶磁器の物の場合は厚みが邪魔して確かに食べにくいですよね。台湾でのことですが、屋台や大衆食堂などでスープ類・汁に浸ったデザート・そして炒飯を食べるときにはあまり陶磁器製の「れんげ」を添えてあった記憶はありません。では何かと言うと、厚さ1mm程度のステンレス製の「れんげ」。陶磁器の物よりも食べ物をすくう部分が浅めになっていて、とても使い勝手が良い「れんげ」です。私は数本買ってきて、自宅で炒飯を食べるときに使っています。ご飯粒を最後まできれいにすくえますよ。炒飯だけでなく汁気の多い料理やお汁粉などを食べるときにも重宝しています。

勺子是陶瓷做的话,确实会因为太厚而不太好吃呢。我在台湾的时候,在路边小摊,大众食堂之类的吃饭,不管喝汤,或者是有汤汁的甜点,还是炒饭,几乎没有用陶瓷制的勺子的。用的一般都是盛食物那部分比较浅的,使用起来很方便的勺子。我买了好几个,自家吃炒饭的时候用。可以把炒饭吃的很干净,一颗饭粒都不剩哦。不仅是炒饭,吃那种汤多的菜或者年糕小豆汤的时候也很好用。

レンゲって使いにくいのは自分が子供だからかと思ってたけど、大人になってからも使いにくいから自分はできるだけ使わない。
他国の文化を批判した上に日本の文化が上位にあるかのようなコメントが散見する。
文化には違いはあっても上下は無い。
そしてその文化も変化していく。

我觉得,会认为勺子不好用的是以为自己还是小孩子吗,但是就算变成大人了还是不好用,所以我自己是能不用就不用。
我看到有些评论,好像批判别国的文化就能让日本的文化高上一个档次似的。
文化有差异,但没有好坏。
这样文化才会有所变化。

残すほど食べさせることが悪いような書き込みが多いので一言。 中国では客人に残すほどのご馳走を出す文化があります。確かに食べきると満腹になってないと思われるため残せばホスト側は安心します。 ただし、残ったご馳走は捨てられるわけではありません。お手伝いさんが持って帰るのを楽しみにしていることも多いです。残せ残せと内心思っているのです。お手伝いさんの家族へご馳走を持って帰るのをとても楽しみにしているとお手伝いさんと話をしたことがあります。 ちなみに母は中国人です。

很多评论说让客人吃剩不好,我想说一句。中国有请客人吃饭时剩饭菜的文化。确实要是客人吃完了就会觉得是不是客人没吃饱啊,客人吃剩了,主人才能安心。但是,吃剩的饭菜绝对不是就这样倒掉了。给保姆,让他们带回去,他们也很开心。因为内心想着要剩下要剩下。我跟保姆聊过天,说能让保姆带回去剩菜很开心。对了,我妈是中国人。

過去仕事で中国に何度も行ってそこそこ高級なレストランでおもてなしを受けましたが
料理が残ってるまだ食べきってない大皿の上に
また新しい山盛りの料理が乗った大皿を上からドスン!と置かれて
正直びっくりしました。残ってる料理は上の皿につぶされて客の目の前ですでに廃棄処分状態w
もったいないし汚いしびっくりしましたがが中国では普通のようですね。

以前因为工作,我去过中国好几趟,也去过好几家高级饭店。
还有菜呢,就看到那个吃也吃不完的大碗上面,砰得一下,又来了一个装着小山一样的菜的大碗。
说实话我都被吓倒了。而被埋在下面的剩菜,在客人眼里已经是丢进垃圾桶的状态了。
又可惜,又脏。虽然我吓到了,但在中国好像很普遍。
原创翻译:龙腾网 http://www.ltaaa.cn 转载请注明出处


日本の場合は何でも箸ひとつで食べなければならないけど中国のれんげや
韓国のスッカラなど他の東アジア諸国にはスプーン的なものがある。
器を手で持って食べてはならない作法なので箸と匙の食文化になった。
逆に日本は器を持たない食べ方を「犬食い」と蔑まれる。
文化が違うどころか作法が真逆ならわかり合えないのもわかる気がする。

日本是不管什么都要用筷子吃,但是中国就还有瓷勺,韩国还有铁勺(?)其他东亚国家还有其他的勺子。
因为他们国家的做法是,不能拿着饭碗吃,所以才有了筷子和勺子的文化。
然而日本相反,不拿饭碗的吃法叫“狗刨饭”,是被看不起的。
我感觉不要说是文化不同了,就连做法都完全相反,走不到一起去。

日本でも田舎の年寄りの感覚は中国人と似ているかもしれません。
亡き祖母も私の母も、客が食事を完食すると「足りなかったんじゃないか?」と心配していました。コロナ前には恒例だった盆や正月の集まりの時は、皆が食事を残して「もう、無理」って言うまで、永遠に食事を出し続けていました。母に、何故そうするのか理由を聞いたら、「満腹の状態で帰ってもらいたいから」と言っていました。そして、締めのデザートで完了でした。

在日本,乡下的老人可能感觉上跟中国很像。
已故的奶奶和我的妈妈,都是客人吃完了就会担心是不是不够。新冠疫情之前,每年的盂兰盆节和正月团圆的时候,都是会一直端出饭菜来直到大家把饭菜剩下,说,不行了,已经吃不下了,为止。我问过妈妈为什么要这样做,她说想让客人吃饱了回去。然后,吃完了饭后甜点才算结束。

很赞 1
收藏