“临死体验”研究的最前线——我们死的时候,到底发生了什么
2021-05-20 听雨惜心 13353
正文翻译

バージニア大学名誉教授のブルース・グレイソンは、約半世紀という長きにわたって、精神医学の見地から「臨死体験」を研究してきた。数多の体験談を聞いてきた彼によると、臨死体験には不思議にも共通している「感覚」があり、本人のその後の人生にも甚大な影響をもたらすという。

弗吉尼亚大学的名誉教授布鲁斯·格雷森在半个世纪中从精神医学的视点对“临死体验”进行研究。他已经听闻了太多的个人体验。他指出临死体验有着不可思议的共通的“感觉”,对本人以及今后的人生也有着巨大的影响。

人々の興味を惹きつけてやまないこの現象は、現代科学でどう説明されうるのか?臨死体験を50年研究した今、人間について思うこととは?
「今なら、世界を完全に理解できる」
グレッグ・ノームは24歳のとき、滝つぼの激流に飲み込まれて溺れ、砂だらけの川床に何度も叩きつけられた。

对于这个十分吸引人兴趣的现象,现在科学又是如何解释的?对临死体验进行50年研究的现在,又是如何理解人类的?
“现在的话,我可以完全理解世界。”
格雷格·诺姆在24岁的时候,被瀑布的激流冲走,几次都被冲上了全是沙子的河床。

ところが、そこで彼は驚くべきものを見た。突然、子供時代の光景や自分でもほとんど忘れていた出来事、そして大人になったばかりの頃のいろいろな場面がはっきりとよみがえり、視界を埋め尽くしたのだ。
これらの記憶──それがそう呼べるものならば──は、鮮明で生き生きとしていた。ノームはこのとき、それらの出来事をもう一度体験し直していたのだろうか? そうとは言えない。それらは高速でほとんど一気に、波のように押し寄せてきたからだ。

不过,他确看到了令人吃惊的内容。突然孩童时代的光景和自己几乎都忘记的事情,以及刚刚成人时的情景各种各样的场面非常清晰回想起来,充满了视界。
这些记忆——如果还可以这样称呼的话——非常清晰十分活跃。诺姆难说这时候发生的事情可以再一次体验。这些都是高速的一下子像海浪一样涌了过来。

とはいえ、ノームはそのひとつひとつをしっかりと認識することができた。それどころか、彼は現実における周囲のものまでも完全に知覚していた。激しい水の流れや砂の川床も、すべて鮮やかにくっきりと見えていた。「聴覚も視覚も、かつてないほどに研ぎ澄まされていました」と、のちに彼は回想している。

不过诺姆将其中一点一滴都明确认知了。不仅如此,连现实中周围的情况也完全感知着。激烈的水流和沙子的河床,全部都鲜明看到。他回想说,视觉和听觉都是处于前所未有的清晰之中。

そして、水の中に沈んで出られないのにもかかわらず、彼は冷静で安らかな気持ちだった。これまでの自分は、感覚がどこか鈍っていたに違いない。だって今なら、世界を完全に理解できるし、宇宙の本当の意味すらわかるかもしれないのだから──そう考えていたのをノームは覚えている。
しかしやがて、イメージはかすんでいった。次に見えたのは、「暗闇だけでした」とノームは言う。「そして今にも何かが起こる、その前の小休止という感じがしたんです」

而且虽然他处于沉在水中无法出来的情况,但是却是有着冷静和安宁的心情。和至今为止感觉迟钝的自己完全不同。感觉现在的话,就可以完全理解世界,说不定连宇宙的本质也可以认识——诺姆记得当时有着这样的想法。
不过诺姆说,最终这种印象也慢慢模糊了,之后看到的仅仅是黑暗。而且之后也一定会发生些什么,现在只是这之前的小休止符罢了。

臨死体験との「出会い」
それから4年後の1985年、コネティカット州で開かれた支援グループの会合で、ノームはこのときの体験について語った。彼は生還したが、死にかけた際にどうしてあのような精神状態になったのかを知りたいと思っていた。
その会合を主催したのは、精神科医で現在はバージニア大学名誉教授の、ブルース・グレイソンだ。

临死体验和“相会”
这4年后的1985年,康涅狄格州召开的支援小组的聚会上,诺姆谈及了那时候的体验。虽然他生还了,但是我想知道他在生死之际处于怎样的精神状态。
主办这次聚会的就是作为精神科医生现在是弗吉尼亚大学名誉教授的布鲁斯·格雷森。

グレイソンは長年にわたり、こうした体験談を聞いてきた。1960年代、精神科の研修を始めて1ヵ月が経とうとする頃、グレイソンは、「病院のベッドで意識不明になっている間に、自分の身体から魂が離脱していた」と主張する患者に遭遇した。
そして、この患者はのちに、「別の空間で」起こったというその出来事について、正確に描写したのだった。
グレイソンには訳がわからなかった。「私は科学的にものを考える家庭の出身なんです」と彼は言う。「父は化学者でした。ですから私も、物質的な世界がすべてだと思って育ちました」
きっと誰かが患者に入れ知恵でもしたのだろう、と彼は考えた。「身体から離脱するなんていったいどういうことなのか、意味がわからない」と思ったという。

格雷森就这样常年倾听这样的体验内容。1960年代,在开始精神科研修1个月的时候,格雷森遭遇了主张自己在病床上意识不明时灵魂脱离自己身体的患者。
这个患者之后,正确描述了在别的空间内发生的事情。
格雷森完全无法理解这个事实。他说,自己是科学思维的家庭出身。“父亲是化学家。所以我从小就认为世界是由物质构成的。”
他想,一定是谁见了患者给他说了吧。“脱离身体到底是什么意识,完全无法理解。”

半世紀にわたる情熱
それからずっと、グレイソンはそんな話は忘れてしまおうとした。けれども、医者に死亡したと判断されてから、あるいは死に近いと思しき状態になってから生に引き戻されるまでの間に、あの世に行ったかのような体験をした人々の強烈な話を、彼はたびたび聞くことになる。
1975年にベストセラーになった『かいまみた死後の世界』において、著者であり、かつてグレイソンの同僚だったこともある精神科医レイモンド・ムーディは、この手の体験を「臨死体験」(near-death experiences, NDEs)と呼び、この名が定着した。

跨越半个世界的热情
从那之后,格雷森极力想要忘记那个事情。不过对于被医生判断死亡,或者是接近死亡的人,苏生过程中去到彼岸世界的体验,他时常听说这些内容。
1975年,大卖的《窥见死后的世界》中,作为作者同时也是格雷森同僚的精神科医生雷蒙德·穆迪将这种体验称为“临死体验”,从此定名了。

「そのとき初めて、これは私が出会ったその患者一人だけの問題ではないと思ったのです」とグレイソンは言う。「一般的な現象なんだ、と」
こうして彼は、この種の体験談の特性や、そこから浮かんでくる疑問に関心をもつようになった。なかでも最大の疑問はおそらく、「人が死ぬときに何が起こるのか」ということだろう。

格雷森说那时候他第一次认为这不是他遇见的那个患者一个人的问题,而是一般现象。
于是他对于这类体验谈的特性和之中浮现的疑问开始关心了。其中最大的疑问就是人在死亡的时候究竟会发生什么了。

「私はそれにのめり込んでいきました。そして50年経った今も、答えを求めているのです」
人はなぜ臨死体験に惹かれるのか
臨死体験は新しい現象ではない。プラトンによれば、ソクラテスも体験したというし、大プリニウスも自らの体験を記録に残している(1世紀のことだ)。また、崖から落ちた登山家が恐怖よりも至福を感じたという例は、歴史上にたくさんある。

“于是我就沉溺进去了。就算过了50年,现在我依然在追求着答案。”
人为什么会被临死体验所吸引
临死体验并非是新现象。根据柏拉图所言,苏格拉底也体验过,普锐斯也留下自己体验的记录。而且,那些从山崖上坠落的登山家体会到的是比恐怖更加幸福的例子,在历史上也有很多。
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しかし、私たちは今なお変わらず、臨死体験の意味を知ろうと夢中になっている。ポピュラーカルチャーのなかにも、臨死体験のモチーフはふんだんに散りばめられている。
昨年、筆者は4歳の息子と一緒にディズニー映画『ソウルフル・ワールド』を観た。この作品は小さな子供たちに臨死体験を紹介し、意識、死後の世界、そして私たちを私たちたらしめている目には見えないものについて考察している。
コンピュータ中心のこの時代、私たちは「正しく」生きるように促す物語をもてはやす傾向にある。よくあるのは、あらゆる瞬間に感謝し、ありのまま受け入れること、それに権力や名声や物質的な豊かさを求めるよりも、経験や人間関係を大切にするといったことだ。(平たく言えば、それが『ソウルフル・ワールド』のプロットだ)。

不过,我们现在仍然热心想要知道临死体验的意义。在流行文化中,以临死体验为主题的内容也时常散落其中。
去年,笔者和4岁的儿子一起看了迪士尼动画“心灵奇旅”。这个作品向小孩子介绍了临死体验,考察了意识、死后的世界这些我们看不到东西。
以电脑为中心的时代,我们有赞赏那些促进我们“正确”生活的故事。经常出现的是那种,要感谢各种瞬间,将一切接受的故事。比起追求权利、名声和物质上的富有,更要珍视经验和人际关系这种。

誰もがそのように生きられるわけではなく、私たちの多くはそういう生き方をしていないわけだが、それでも、この世での貴重な時間をむだにしないように、正しく生きるべきだとは感じている。
それゆえ、私たちは臨死のモチーフがある物語に心惹かれるし、文化のなかでそのような物語が好まれ続けてきたのだ。臨死の物語は私たちにこう問いかける。
「もう一度チャンスがあったとしたら、どんなふうに生きる?」

并非是所有人都是这样生活的,但是正因为很多人并不是过着这样的生活,所以才希望不要浪费活在世上的珍贵的时间,好好正确生活。
因此,我们才会被临死的主题所吸引,文化中也一直喜欢类似的故事。临死相关的故事这样向我们询问。
“如果有再来一次的机会,你会怎样生活呢?”

评论翻译
フルフラット
確かに死ぬ時、または身体にそれに近い変化が起こって意識が遠のく時、脳内に起こる現象は共通だと思う。
ただ、死に対する意識って人によって違うから、その現れ方も違うんじゃないかな。自分は、貧血と急性アルコール中毒でぶったおれたことがあるが、気持ち悪くて苦しいのに、意識が遠のくときは、ふわ〜っと気持ち良く光の中に引き込まれ、ストンとした次の瞬間、周りの声に起こされた。
死ぬときもこんな感じなら怖くないし、もし神様が起こしてくれたらいいなと思う。笑

确实死亡的时候,或者身体上发生类似的变化,意识渐渐模糊的时候,脑内就会发生这种共通的现象。
不过因为对于死亡的意识因人而异,所以表现方式也会不一样吧。我自己因为贫血和急性酒精中毒昏倒过,虽然很难受很痛苦,但是意识模糊的时候,但也有感觉不错被光芒所笼罩的情况。在结束后,周围的声音才一下子传过来。
如果死亡的时候是这种感觉,那就不会觉得害怕了。要是有神灵叫醒我那就好了。笑。
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d****b
臨死とは違うのでしょうが、初めて全身麻酔で手術後の麻酔が薄れてきて目が覚める寸前に、幼い頃住んでいた場所で若い母とブランコに乗っていた場面にいました。
見たのではなく、その場に居たようなハッキリとした感覚でした。
その後、肩を揺すられて起こされたのですが、手術台にいる事はすっかり忘れて、ここはどこ?お母さんは?と思ったくらい夢と言うにはあまりに鮮明で意識が混乱したのを覚えてます。
死ぬ前がこんななら怖くないなって思いました。

和临死有些不同,第一次因为全身麻醉在术后麻醉效果慢慢消失快要清醒的瞬间,我看到了孩童时代和年轻的母亲一起坐秋千的场景。
不是看到这种,而是就是身处那里那种清晰的感觉。
之后,被人拍肩膀叫醒了,但完全忘记了自己身处手术台这件事。还问这是哪里,母亲在哪里。因为比梦境更加鲜明,所以意识都发生了混乱。
如果死前是这种状态,那就感觉不会害怕了。

ecl
そもそも人間の意識というものの実態が解明されない限り、死をどのように感じるかは、臨死体験した人の体験談に頼らざるを得ないのだろう。
これまで何百億あるいは何千億の人間が生きて死んできたのだから、臨死体験をした人の数も膨大なはず。
だけど、彼らが語ることが本当なのか、またその体験が実際に死ぬ時と同じものなのか、は証明しようがない。

只要无法解释人类意识的实际状态,对于死亡时的感受,那就只能依靠有过临死体验的人的体验谈了。
至今为止,有几百亿或者说几千亿的人类生活过,所以有过临死体验的人数也是非常庞大的。
不过他们诉说的内容是真实的,或者体验内容是否和真实死亡时一样,那就无法证明了。
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xstapl6359
臨死体験と言えるかどうかは分からないが、幼い時高熱が出て布団に寝かされていた、脳裏には無数の星が弾け、強力な力で障子が渦巻き状に捻じ曲げられてゆく幾度も幾度も繰り返す、苦しい苦しい苦しい意識が遠のく・・・
どれだけ経過したであろうか私はなぜか部屋隅の天井付近にいた、そしてそこで見たのは布団で寝ている私と看病している母親の姿だった。

虽然不知道能不能算临死体验,孩童时代因为高烧卧床,大脑里有无数星星飞跃,强大的力量让推拉门都扭曲成漩涡状。不断重复,难受到意识都渐渐模糊了。
不知道过去多少时间,我不知为何处于房间的顶部,从那里看到的是躺在被窝里的我和照顾我的母亲。

kak*****
一説によれば、臨死体験というのは死の危機に瀕している際に自身の生存欲求を高めるための「脳機能」だとか。
だから体験者の証言が共通するのは「人間の脳」そのものにそういう機能が備わっているため、という理屈。
つまり臨死体験が「現実」か「妄想」かは極論どーでもいいことなんだよね。
それこそ人間皆いつか死ぬんだからその時に答え合わせをすればいいだけの話。
重要なのは、その体験を通じて「生きる」という意思が湧いてくること。
かく言う自分自身、臨死体験をしたことはないけれども、人生に行き詰まっていた時にその手の証言集を読み漁って生きる気力が湧いてきた。
今の自分があるのは、そうやって臨死体験した人たちが自分の体験を頑張って言葉で表現して共有してくれたおかげなんだな。
本当にありがとう。

有一个说法是临死体验是处于死亡危机时为了提高自身求生欲的一种“大脑机能”。
所以体验者的证言中共通的部分是人类的大脑中有这样一种功能。
也就是说临死体验是“现实”还是“妄想”讨论这个太极端没有任何意义。
反正人总有一天会死,那时候自然就会知道了。
重要的是通过这样的体验就会涌现“活下去”这样的想法。
话虽如此我自己并没有体验过临死体验,不过人生遇到障碍时看到这类内容就会容易涌现活下去的动力。
能有现在的自己正是经历过临死体验的人将自己的体验努力用言语来表达让我共鸣的结果。
真的很感谢。

dinge an sich
臨死体験がそのまま死後の世界の存在の証拠だとは即断できないが、こうした体験記を読むと死への恐れが軽減するように感じられる。

临死体验虽然无法直接成为死后世界存在的证据,但是读完这些体验内容,对死亡的恐惧也就能够减轻了。

sfk*******
今なら、世界を完全に理解できるし、宇宙の本当の意味すらわかるかもしれない
これ、経験があります。ただ夢のような感覚で、確かに世界の理が分かったような完全に悟った気持ちになりましたが、時間がたつにつれ普通の感覚になり、残ったのは確かに経験したという記憶のみ。
またあの感覚を体験したい。

现在的话,说不定就能彻底理解世界,明白宇宙真正的意义。
这个,我也有同样的经验。不过我是梦里的感受,确实那时候感觉能够完全理解世界的真理,悟出一切,但是随着时间的推移就回归平常的感觉,残留下来的只有经历过的记忆。
真想重新体会这种感觉。

dpg*****
臨死体験はそれぞれに異なる、異質な臨死体験をする人達がいる、それは霊能者達だ、彼等は世界の未来や過去を現在のことと見ることができる。
その他に、天才科学者と言われる人、彼等は未来の技術の設計図を見ることができる。完成したものや動作しているところまで見ることができる人もいる。
信じるか、信じないか・・・・。

临死体验因人而异,也有体会过特殊临死体验的人,那就是灵能者们。他们能够将世界的未来和过去按照现在一般来查看。
其它还有那些被称为天才科学家的人,他们能够看到未来技术的设计图。还有人能够看到完成的作品和活动的情况。
相信,还是不信呢……

you*****
5年前に18歳で亡くなった愛犬の話です。
夫婦で可愛がっていて、愛犬は亡くなる前の1年ぐらいは、認知症になって、飼い主が誰もわからなかったはずだ。愛犬が亡くなった時は夫婦で号泣した。
動物霊園で初七日の法要の時に、愛犬の匂いがぷんと鼻先をよぎった。その時は匂いを嗅いだのは私だけで、家内は何も感じなかった。
それをきっかけに、家に居る時に、愛犬の匂いが何度でもしたし、面白い事に、必ず夫婦別々に愛犬が会いに来てくれた。
また、認知症で亡くなっても、自分の飼い主が誰かとか、誰が世話してくれていたのかを、ちゃんとわかっている事だった。
その後2年ぐらいは、頻繁に会いに来てくれた(なぜ会いに来たのがわかるのかと言えば、その時は必ず、愛犬特有の匂いがしたからだ)。
今はめったに会いに来てくれなくなったが、「もう生まれ変わったのかなあ」と家内と話している。
私も家内も、死んで終わりじゃないと信じている。

这是5年前18岁时死去的爱犬的故事。
我们夫妻都很喜欢它,在爱犬死去的一年前,就患上了认知障碍,无法认识自己的饲主。爱犬死去的时候我们夫妻都痛哭了一场。
在动物陵园第七天做法事的时候,爱犬的气味突然划过鼻尖。那时候闻到味道的只有我,老婆什么都没有感受到。
以此为契机,我在家里的时候几次都闻到了爱犬的味道。有趣的是,一定是爱犬分别来见我们夫妻的。
就算因为认知障碍死去了,也是能够明白自己的饲主是谁,谁照顾过它的。
这之后两年,也频繁来和我们相见(要说为什么知道来和我们相见,因为那时一定会有爱犬独特的味道)。
现在就很少来相见了,我给老婆说一定是转生了吧。
我和我老婆都相信死亡并非是终点。

aki*****
妻が亡くなる前に、「私が亡くなったら絶対に出てきてあげる」と言ってたのに
3年過ぎても一度も出てきてくれた事はありません。三年間で2度しか夢にも出て来ません!亡くなると生物は皆んな無になるだけです。病院で全身麻酔をして治療した時、知らないうちに麻酔が効いて目が覚めると病室に居る!目が覚めない状態が死だと思う

妻子去世前,明明说自己如果死去了一定会出来见我的。
结果三年过去了一次都没出现过。三年间只有两次在梦里出现过!死去了生物都会回归虚无。在医院全身麻醉进行治疗时,不知不觉麻醉效果消退了,醒来就发现自己在病房里!而无法醒来的状态就是死亡了。

ath*****
私も、30年前に心臓が止まり、後数分、蘇生が遅れたら、死んでいた、と医者に言われ、死の間際、見たのは、当時飼っていた犬、犬達が、騒いでいて、私は犬を静かにさせようとしていた、そして家族に、この子達をお願い!と頼んでいた事、
しかし、私はその時、心臓が止まり死んだ状態だった、同時刻に自宅で犬達が狂った様に一斉に吠えだし、家族が驚いたと、後から聞いて、本当にそんな事、在るんだなと思った。今思えば犬達が、私を死神から、守る為に、吠えてくれていたのだろうか‥…

我在30年前心脏停跳了,医生说如果心脏复苏再晚几分钟,大概就死了。生死之间,我看到的是当时自己养的狗。狗们不断骚动,我努力想要让它们安静下来。于是我将它们拜托给了我的家人。
不过那时候,我已经是心脏停跳死亡的状态了。同时家里狗们就像发狂一般一起狂吠,家人都很吃惊,之后我知道了,觉得这种事真的很不可思议。
现在想想,那些狗们是不是为了从死神那里守护我才一起狂吠的呢……

his*****
交通事故で死にかけたけど何にも見なかったよ。
痛みも何もなくテレビのスイッチを切るような感じでした。
死ぬことに怖くなくなりましたね。

交通事故中差点死了,但什么都没有看到。
没有任何痛苦,就像电视开关关了一样的感觉。
对死亡我就这样不觉得害怕了。

AI
居眠り運転で電柱に激突したことがある。
衝撃で目を覚ましたが覚まさなかったら逝ってたのかなぁと思った。臨死も糞もなかった。運転は気をつけるようになった。

疲劳驾驶时有次撞到了电线杆。
因为撞击我清醒了,但如果没能清醒大概就死了吧。和临死没啥关系。之后我就开心注意安全驾驶了。

hid*****
でも、「臨死体験」と「実際の死」は違いますよね。「臨死体験で見た世界」イコール「死後の世界」とは限らない。

不过“临死体验”和“实际的死”完全不一样吧。“临死体验看到的世界”并非和“死后的世界”相等。

wei*****
「最前線」ではない
かなり古い

不是“最前线”啊。
相当老的内容了。

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