“日本酒的根源”竟然与三国演义的英雄曹操有关!?他在中国被称为“酒神”的原因是什么?
2023-12-22 玉子家 7314
正文翻译

「日本酒のルーツ」は三国志の英雄・曹操にあった!? 中国で「酒の神様」と呼ばれる理由とは

“日本酒的根源”竟然与三国演义的英雄曹操有关!?他在中国被称为“酒神”的原因是什么?

「酒に対してはまさに歌うべし、人生いくばくぞ・・・」との一節で知られる詩「短歌行」を残した、三国志の英雄・曹操。中国では意外にも彼を「酒の神様」として祀る地方がある。なぜ、そうなっているのか。

三国演义的英雄曹操以“对酒当歌,人生几何”的诗句而闻名。令人意外的是,中国有些地方竟然将他奉为“酒神”。那么为什么会出现这样的情况呢?

■曹操が後世に残した「酒のレシピ」とは?
一般に、三国志で「酒」といえば、張飛(ちょうひ)が有名である。たいてい酒を飲んで大暴れするのが定番だが、それは小説での話。史実においては、孫権(そんけん)のほうが、圧倒的に酒乱なのだが、その話は別の機会にゆずろう。
曹操も相当な酒好きだった。もちろん、史実を踏まえての話である。冒頭の賦(ふ)や、次の上奏文を残していることからも、それがよく分かるだろう。

■ 曹操留下的“酒谱”是什么?
一般而言,在三国演义中,以喝酒大闹而闻名的是张飞。虽然这在小说中经常发生,但这只是虚构的故事。在史实中,酒量惊人的是孙权,但这个故事可以留到下次再说。
曹操也是相当爱喝酒的。当然,这是基于史实的故事。从前文的诗歌和下面的上奏文中可以感受到。

「12月2日に、100リットルぐらいの水で麹(こうじ)を7kgほど洗い、正月に凍っているところを溶かします。良質な米を加えて造り、三日にいちど発酵させ、180リットルぐらいになったら米を追加するのをやめます」
「あとは、麹のカスを搾りとれば飲めます。麹や米に虫がたくさんついていたとしても、こうすれば完全にいなくなるので平気です。きれいなので酒カスも飲めます」
「9回発酵させると良いですが、もし苦い場合は10回発酵させれば、ずいぶん甘くなって飲みやすく、しかも酔いにくいので、おすすめです」(『全三国文』九醞春酒法/きゅううん しゅんしゅほう)

“12月2日,用约100升的水清洗大约7公斤的麹,然后在正月的时候解冻。加入优质的大米,发酵三天,然后再加大米加到180升为止。”
“之后榨取麹渣,就可以饮用了。即使麹和米上有很多虫子,这样发酵完它们就会消失,所以完全没有问题。因为很清爽,所以连酒渣也可以喝。”
“发酵9次是最好的,但如果苦涩的话,可以发酵10次,那样酒就会变得相当甜美,容易饮用,而且不容易醉,所以很推荐”(《全三国文》九醞春酒法)

これは、曹操が漢の献帝(けんてい)に献上したレシピである。知人に郭芝(かくし)という酒造りの職人がいて、彼からおそわった製法を曹操が書いて残したのだ。これを見る限り、かなり大量の穀物と手間とをかけて造る上等の酒だったと思える。
曹操の生まれ故郷である毫州市(安徽省)は、この故事のとおり「古井貢酒」(こい こうしゅ)という白酒(バイチョウ)の産地として知られる。古井とは「古井戸」のことで、その水で造った酒を帝に献じた(貢いだ)という意味がある。

这是曹操向汉献帝上供的配方。他的朋友中有一位名叫郭芝的酿酒师,曹操从他那边学到了一些方法,然后写了下来。从这个配方来看,这是一种需要大量粮食和时间制作的高级酒。
曹操的故乡毫州市(安徽省)正如这个故事所说,以“古井贡酒”而闻名,是白酒的产地。古井指的是“古井户”,意思是用这口井的水酿造的酒供给了皇帝。

この地では、故郷の英雄・曹操が「酒神」としても祀られている。「白酒博物館」では、その地下に明代・清代の酒造場が保存され、その上に曹操の酒造りにまつわる資料や出土品が並んでいる。
ただし、曹操が飲んだのは、上に書いたような白酒ではなかった。白酒とは焼酎や泡盛と同じ蒸留酒であり、非常にアルコール度数の高い酒。これが造られるようになったのは、蒸留技術が発達した元の時代(13世紀)といわれる。一説には唐の時代(7世紀)からあったともいうが、漢の時代には、まだ無かっただろうと思われる。

在这个地方,英雄曹操也被祭奠为“酒神”。在“白酒博物馆”中,保存着明清时期的酿酒厂,上面陈列着与曹操的酿酒有关的资料和出土品。
然而,曹操喝的不是上述的白酒。白酒是一种类似烧酒或泡盛的蒸馏酒,酒精度极高。它开始制造是在元代时期(13世纪)随着蒸馏技术的发展。也有一种说法认为它起源于唐代(7世纪),在汉代似乎还不存在。

■曹操、愛飲の酒が各地へ伝播し、日本酒に?
おそらく、曹操が伝えた酒は黄酒(醸造酒)であっただろう。黄酒といえば日本酒や紹興酒がそれにあてはまる。米を使った甘みのある酒ではなかったかと思われる。中国には貴州省の東部などで、米の醸造酒、米酒(ミーチョウ)が造られている。
ミャオ族など少数民族が住む鎮遠県という都市では、主に家庭用の酒として愛用されている。ここには千年ほど前に湖南省から漢民族が流入したといわれ、漢から伝わった酒の製法を伝えた者もいたかもしれない。米酒の原型が、すなわち曹操の「九醞春酒」だった可能性もあるだろう。
米酒は製法も味も日本酒にも似ている。曹操のレシピは、もしかすると人づてに東の海を越え、日本にもたらされたのかもしれない。単に酒好きというだけでなく、その製法を後世に伝えたという文化的な功績において、曹操が酒神と崇められるのは当然といっても良いだろう。

■ 曹操,酒传遍各地,传到了日本酒?
很可能,曹操传播的是黄酒(醸造酒)。说到黄酒,日本酒和绍兴酒都属于这一范畴。它可能是一种由大米制成的带有甜味的酒。在中国,像贵州省东部等地,有一些地方在制作大米的酿造酒——米酒。
在少数民族苗族等的聚居地——镇远县这个地方,人们主要将其作为家庭用酒。这里据说大约在千年前从湖南省涌入的汉族,他们传授了酒的制法,因此也可能有人将曹操的“九醞春酒”传授给了这里。
米酒的制法和口味与日本酒非常相似。曹操的配方可能通过口耳相传传到了东海的另一侧,也就是日本。曹操不仅是一个酒鬼,而且在文化上传承了他的酿酒方法,他被尊奉为酒神是理所当然的。

评论翻译
可能性は大いにあるといって良いだろう。
ニッポン人が思っている以上に中国からの文化的な伝播は古く、記録時代に入る以前からその片鱗はある。漢字の訓読みに取り込まれているものの(うめ、うま など)中にも元は古代中国の音とされるものもあり、そもそも正座の習慣すら、本家が騎馬民族の侵略による椅子文化の普及により廃れる中、ニッポンで保存されたとする識者もいる。

“这个可能性是很高的。”可以说,中国文化传播到日本的时间,比很多日本人想的都要早,在有记载的时代之前就已经有一些迹象了。即使有些汉字我们用训读来读的(如“梅”、“马”等),但其实很多这些读音也都和古代中国的读音有关,甚至有一些专家认为,正坐这个习惯本身在大陆已经被废弃了,却在日本得以保存,这可能是由于大陆骑马民族的侵略导致椅子文化的传播。

記事にもある「古井貢酒」は都内の中華食材店なども数軒、探したが見つからなかった。
その後、ネットで買って飲んでみた。白酒については素人だが、なかなか美味しかった記憶がある。先ほどネット検索すると、残念ながら度数が高いものはだいぶ値が張るようになったようだ。

文章中提到的“古井贡酒”,我虽然在东京的中华食材店等地方寻找了几家,但未能找到。之后,在网上购买并试着喝了一下。关于白酒,我是个门外汉,但这个酒的味道相当不错。刚才又搜了一下,发现酒精度较高的品种似乎已经涨价了不少,可惜。

魏志倭人伝のように本当のここに来て見たのかどうかは謎だが、少なくともワイらの様子を調べ記録として残したのは曹操の国、魏。
だからとて、直結してるとはやっぱり思わないねw
日本酒も色々変遷を経て、江戸時代に清酒にようやくなったのだから。
どぶろくみたいなのはベトナムにワイ行った時、メコン川あたりでどこも作ってた。
流通ルートは米の伝来と共に来たと捉える方が自然じゃないかなと思ってる。
日本の稲作はこの東南アジアの流れの方がすごくこれだと実際に行って見て感じました。

真的是像《魏志倭人伝》一样,有人来到这里吗,这还是一个谜。
但至少,把我们的状况调查和记录下来的是曹操的国家——魏。不过也不能就因此说我们有直接的关联。
日本酒也经历了各种变迁,直到江户时代才最终成为清酒。像Toburoku这样的品类,在我去越南时,发现湄公河一带很多都在酿造。
我认为,把米酒的来源与稻米传入视为同一过程更为自然。实际上,日本的稻种更像是东南亚这边的。

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