“7月日本将发生大灾难”,“超出预期的毁灭性…”网络上流传的“大灾难预言”并非完全没有依据
2025-06-18 阿煌看什么 4169
正文翻译


「7月に日本で大災害が起こる」――こんな不穏な噂が国内はもとよりアジア圏にも広がっている。
2021年に出版されたたつき諒氏の漫画『私が見た未来 完全版』(飛鳥新社)がネタ元とされている。
その中で「本当の大災難は2025年7月にやってくる」と明言するとともに、「日本とフィリピンの中間あたりの海底がボコンと破裂(噴火)」し、「南海トラフ地震の想定をはるかに超える壊滅的な大津波が日本の太平洋側を襲う」という予知夢の内容を紹介していた。
同作は、すでに90万部を超える大ヒットになっており、中国語版も発売され、香港(特区)や台湾(地区)でも大きな話題になっている。

“7月日本将发生大灾难”——这样的不祥传言不仅在日本国内,还在整个亚洲地区传播开来。据说,这一传言源于2021年出版的龙树谅的漫画《我所看见的未来 完全版》(飞鸟新社)。在这部漫画中,明确提到“真正的大灾难将在2025年7月到来”,并描述了一场预知梦:日本和菲律宾之间的海底将发生断裂(喷发),继而一场超出南海海槽地震预想的毁灭性大海啸将袭击日本的太平洋沿岸。这部作品已经大卖超过90万册,并推出了中文版,在香港(特区)和台湾(地区)也引起了广泛讨论。

台湾(地区)のニュースメディア「風傳媒」は、「2025年7月5日に日本を中心とした巨大地震と津波が発生するという『予言』が、台湾(地区)や香港(特区)のSNS上で急速に拡散し、現地では不安の声が広がっている」と伝えた(「7月5日、日本で大地震」予言SNSで拡散 台湾(地区)・香港(特区)で訪日控える動きも/2025年5月14日/風傳媒日本語版)。
旅行客にまで影響が出始めたこともあり、内閣府が「地震の予知は困難」と異例のコメントをする事態になった。
このような騒動を「嘘八百」「でたらめ」であるとして、一笑に付す人が多いかもしれないが、このような破局的な予言が流行する現象には、実に多くの「真実」が含まれているので要注意だ。
とりわけ重要なキーワードとなるのは、「世直り」と「自己変革」である。前者は古くから庶民に親しまれてきた“災害観”だとすれば、後者は近代特有の変身願望に根差している。
予言といえば、1970年代から1990年代にかけて世の中を席捲した「ノストラダムスの大予言」が有名だろう。「1999年の7の月、空から恐怖の大王が降りてくる」というフレーズは多くの人々に浸透し、オウム真理教のようなカルト宗教に入信する人々まで現れた。
さらに時代をさかのぼれば、大正時代に関東大震災を予言したとされる宗教家の逸話などがある。
近現代にだけフォーカスすると、最近の現象のようにも思えるが、日本は地震国ということもあり、古来様々な予言が人々の間で語られ、消費されてきた。

台湾(地区)的新闻媒体《风传媒》报道:“关于2025年7月5日将发生以日本为中心的大地震和海啸的‘预言’,正在台湾(地区)和香港(特区)的社交媒体上迅速传播,当地民众对此感到不安。”(《7月5日,日本大地震》预言在社交媒体上扩散,台湾(地区)和香港(特区)出现推迟访问日本的动向/2025年5月14日/风传媒日文版)。
由于预言开始影响到游客动向,内阁府罕见发表声明称“地震是很难预测的”。虽然许多人可能会将这种骚动视为“胡说八道”或“无稽之谈”而一笑置之,但这种灾难性预言流行的现象中实际上包含了许多“真实”因素,需要引起注意。
特别重要的关键词是“社会变革”和“自我革新”。前者是自古以来民众熟悉的“灾害观”,而后者则基于现代特有的蜕变愿望。提到预言,1970年代到1990年代席卷社会的“诺查丹玛斯大预言”最为著名。“1999年7月,恐怖之王将从天而降”这句预言广为人知,甚至出现了像奥姆真理教这样的邪教组织。追溯更早,还有大正时代据说预言了关东大地震的宗教家的逸闻等。
如果只关注近现代,这似乎是最近的现象,但作为地震多发国的日本,自古以来就流传和消费着各种预言。

典型的なのは「地震鯰」だ。民俗学者の宮田登は、「日本のフォークロアは、変災の予知を魚族の王たちが行なってくれることを語ってくれる。それはかつて柳田国男が『物言ふ魚』として指摘したことであった」と述べている(『江戸のはやり神』ちくま学芸文庫)。
その好例として「江戸の俗信仰として流行した地震鯰」を挙げ、「大変災による不可抗力なカタストロフィを招来するものが、それを予知する鯰であると同時に、鯰そのものだと信じられているのである」と述べた。
鯰は子どもを通じて危機を知らせることもあれば、人に化けて直接告げることもあり、そのバリエーションは多様である。
日本の災害史研究が専門の歴史学者の北原糸子は、「地震鯰絵」を読み解く中で、共通して見られるのは、「地震とは神の御使、或いは神そのものの大鯰が動くことであり」「(神の)善き計いを世の中の好転への予兆とする」考え方であったという(『安政大地震と民衆』三一書房)。これは「世直し」というよりも、受動的なスタンスの「世直り」といえる。
北原は、「災害という異常事態がもたらした非日常状態」に着目した上で、幕府による救済活動や町人や武家、寺院による施しなどが行われ、「一種の理想郷に近いという状態」が出現したことが背景にあるとする。
もちろん、人が死に火災が町をのみ込む悲劇を少しも消し去りはしないが、「鯰絵における災害=地震は決して禍一色で捉えられてはいず、世直り、万代楽、御代万代、といった言葉に表れているような現実(災害後出現した社会)の謳歌なのである」と。

典型的例子就是“地震鲶鱼”。民俗学者宫田登指出,“日本的民间传说中,鱼类之王可以预知灾难。这是柳田国男曾提到的‘会说话的鱼’。”(《江户的流行神》筑摩学艺文库)
作为一个很好的例子,宫田提到“在江户作为民间信仰流行的地震鲶鱼”,认为“引发巨大灾难的不可抗力,被认为是预知地震的鲶鱼,同时人们相信鲶鱼本身就是灾难的象征。”鲶鱼有时通过孩子传达危机,也会化成人形直接告知,其形式多种多样。
研究日本灾害史的历史学者北原丝子在解读“地震鲶鱼画”时指出,普遍存在的观念是,“地震是神的使者,或是神本身的大鲶鱼在活动”,“(神的)善意安排被视为社会好转的预兆。”(《安政大地震与民众》三一书房)这可以说是一种被动的“社会变革”态度,而非积极的改革。
北原强调“灾害带来的非日常状态”,并指出幕府的救济活动、市民和寺庙的施舍等,形成了一种近似理想乡的状态。当然,这并不会抹去人们死亡和火灾吞噬城镇的悲剧,但“在鲶鱼画中,灾害=地震并不单纯被视为祸事,而是如‘社会变革’、‘万代乐’、‘御代万代’等词所表现的对灾后新社会的赞美。”

続けて、「ほとんどの宗教が信者たちを誰もが直面するのを恐れているものに向き合わせる。死すべき運命、死、病、喪失、不確実性、苦しみ――人生は常にちょっとした災難であるとでもいわんばかりに」と述べ、「宗教は災難への準備――日々の災難をただ生き延びるだけでなく、それを落ち着いて行い、冷静さと利他主義でもって対処させる装置――と見なすことができる」と主張した。
このくだりにおいても、『私が見た未来 完全版』と奇妙に響き合う。「大切なのは、準備すること。災難の後の生き方を考えて、今から準備・行動しておくことの重要さを改めて認識してほしい」と書かれているからだ。
ソルニットのいう宗教は、社会を揺るがすほどの巨大な災害という危機を外部から注入してもらうことで、自らの最良の部分が覚醒させられ、その潜在していた力量がいかんなく発揮され、通常ではあり得ない物事を次々に成し遂げることができる――いわば「災害による自己変革」への期待に支えられていることは間違いない。
自己啓発文化の視点から捉えれば、それは「自己啓発の手段としての災害」と位置付けることができるだろう。
この圧倒的ともいえる受動性は「世直り」とまったく同じ性質のもので、内部からの契機は一切存在しない。「災害待ち」と言っても過言ではない。
このように見ていくと、予言ブームに乗っかってしまうわたしたちの熱狂の正体が明らかになる。と同時に、それが負っている課題の深淵も浮き彫りになってくる。
なぜ、日々の暮らしにおいて「それ」ができないのか、という率直過ぎる問いがせり上がって来るのだ。

接着,他指出,“大多数宗教让信徒直面那些每个人都害怕面对的事情:必然的命运、死亡、疾病、失去、不确定性、痛苦,仿佛人生总是伴随着小灾难。”并主张“宗教可以被看作是为灾难做准备的工具,不仅仅是为了每天的灾难中存活下来,而是要镇定自若地面对,并以冷静和利他主义来应对。”
这段话与《我所见的未来 完全版》有着奇妙的共鸣,因为书中写道:“重要的是做好准备。希望大家能够重新认识到思考灾难后的生活方式,并从现在开始准备和行动的重要性。”
索尔尼特所说的宗教,通过从外部注入足以动摇社会的巨大灾难,使自身最好的部分被唤醒,潜在的能力得以充分发挥,能够完成通常无法实现的事情,可以说,这是对“通过灾难实现自我革新”的期待。从自我启发的角度来看,这可以被视为“将灾难作为自我启发的手段”。
这种近乎绝对的被动性与“社会变革”性质完全相同,完全没有来自内部的契机。可以说是“坐等灾难”的状态。
如此看来,我们对预言热潮这么狂热的真相就显现出来了,同时,这背后的深刻问题也逐渐浮现。
一个过于直白的问题产生了:为什么我们在日常生活中做不到“变革”?


 
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「7月に日本で大災害が起こる」――こんな不穏な噂が国内はもとよりアジア圏にも広がっている。
2021年に出版されたたつき諒氏の漫画『私が見た未来 完全版』(飛鳥新社)がネタ元とされている。
その中で「本当の大災難は2025年7月にやってくる」と明言するとともに、「日本とフィリピンの中間あたりの海底がボコンと破裂(噴火)」し、「南海トラフ地震の想定をはるかに超える壊滅的な大津波が日本の太平洋側を襲う」という予知夢の内容を紹介していた。
同作は、すでに90万部を超える大ヒットになっており、中国語版も発売され、香港(特区)や台湾(地区)でも大きな話題になっている。

“7月日本将发生大灾难”——这样的不祥传言不仅在日本国内,还在整个亚洲地区传播开来。据说,这一传言源于2021年出版的龙树谅的漫画《我所看见的未来 完全版》(飞鸟新社)。在这部漫画中,明确提到“真正的大灾难将在2025年7月到来”,并描述了一场预知梦:日本和菲律宾之间的海底将发生断裂(喷发),继而一场超出南海海槽地震预想的毁灭性大海啸将袭击日本的太平洋沿岸。这部作品已经大卖超过90万册,并推出了中文版,在香港(特区)和台湾(地区)也引起了广泛讨论。

台湾(地区)のニュースメディア「風傳媒」は、「2025年7月5日に日本を中心とした巨大地震と津波が発生するという『予言』が、台湾(地区)や香港(特区)のSNS上で急速に拡散し、現地では不安の声が広がっている」と伝えた(「7月5日、日本で大地震」予言SNSで拡散 台湾(地区)・香港(特区)で訪日控える動きも/2025年5月14日/風傳媒日本語版)。
旅行客にまで影響が出始めたこともあり、内閣府が「地震の予知は困難」と異例のコメントをする事態になった。
このような騒動を「嘘八百」「でたらめ」であるとして、一笑に付す人が多いかもしれないが、このような破局的な予言が流行する現象には、実に多くの「真実」が含まれているので要注意だ。
とりわけ重要なキーワードとなるのは、「世直り」と「自己変革」である。前者は古くから庶民に親しまれてきた“災害観”だとすれば、後者は近代特有の変身願望に根差している。
予言といえば、1970年代から1990年代にかけて世の中を席捲した「ノストラダムスの大予言」が有名だろう。「1999年の7の月、空から恐怖の大王が降りてくる」というフレーズは多くの人々に浸透し、オウム真理教のようなカルト宗教に入信する人々まで現れた。
さらに時代をさかのぼれば、大正時代に関東大震災を予言したとされる宗教家の逸話などがある。
近現代にだけフォーカスすると、最近の現象のようにも思えるが、日本は地震国ということもあり、古来様々な予言が人々の間で語られ、消費されてきた。

台湾(地区)的新闻媒体《风传媒》报道:“关于2025年7月5日将发生以日本为中心的大地震和海啸的‘预言’,正在台湾(地区)和香港(特区)的社交媒体上迅速传播,当地民众对此感到不安。”(《7月5日,日本大地震》预言在社交媒体上扩散,台湾(地区)和香港(特区)出现推迟访问日本的动向/2025年5月14日/风传媒日文版)。
由于预言开始影响到游客动向,内阁府罕见发表声明称“地震是很难预测的”。虽然许多人可能会将这种骚动视为“胡说八道”或“无稽之谈”而一笑置之,但这种灾难性预言流行的现象中实际上包含了许多“真实”因素,需要引起注意。
特别重要的关键词是“社会变革”和“自我革新”。前者是自古以来民众熟悉的“灾害观”,而后者则基于现代特有的蜕变愿望。提到预言,1970年代到1990年代席卷社会的“诺查丹玛斯大预言”最为著名。“1999年7月,恐怖之王将从天而降”这句预言广为人知,甚至出现了像奥姆真理教这样的邪教组织。追溯更早,还有大正时代据说预言了关东大地震的宗教家的逸闻等。
如果只关注近现代,这似乎是最近的现象,但作为地震多发国的日本,自古以来就流传和消费着各种预言。

典型的なのは「地震鯰」だ。民俗学者の宮田登は、「日本のフォークロアは、変災の予知を魚族の王たちが行なってくれることを語ってくれる。それはかつて柳田国男が『物言ふ魚』として指摘したことであった」と述べている(『江戸のはやり神』ちくま学芸文庫)。
その好例として「江戸の俗信仰として流行した地震鯰」を挙げ、「大変災による不可抗力なカタストロフィを招来するものが、それを予知する鯰であると同時に、鯰そのものだと信じられているのである」と述べた。
鯰は子どもを通じて危機を知らせることもあれば、人に化けて直接告げることもあり、そのバリエーションは多様である。
日本の災害史研究が専門の歴史学者の北原糸子は、「地震鯰絵」を読み解く中で、共通して見られるのは、「地震とは神の御使、或いは神そのものの大鯰が動くことであり」「(神の)善き計いを世の中の好転への予兆とする」考え方であったという(『安政大地震と民衆』三一書房)。これは「世直し」というよりも、受動的なスタンスの「世直り」といえる。
北原は、「災害という異常事態がもたらした非日常状態」に着目した上で、幕府による救済活動や町人や武家、寺院による施しなどが行われ、「一種の理想郷に近いという状態」が出現したことが背景にあるとする。
もちろん、人が死に火災が町をのみ込む悲劇を少しも消し去りはしないが、「鯰絵における災害=地震は決して禍一色で捉えられてはいず、世直り、万代楽、御代万代、といった言葉に表れているような現実(災害後出現した社会)の謳歌なのである」と。

典型的例子就是“地震鲶鱼”。民俗学者宫田登指出,“日本的民间传说中,鱼类之王可以预知灾难。这是柳田国男曾提到的‘会说话的鱼’。”(《江户的流行神》筑摩学艺文库)
作为一个很好的例子,宫田提到“在江户作为民间信仰流行的地震鲶鱼”,认为“引发巨大灾难的不可抗力,被认为是预知地震的鲶鱼,同时人们相信鲶鱼本身就是灾难的象征。”鲶鱼有时通过孩子传达危机,也会化成人形直接告知,其形式多种多样。
研究日本灾害史的历史学者北原丝子在解读“地震鲶鱼画”时指出,普遍存在的观念是,“地震是神的使者,或是神本身的大鲶鱼在活动”,“(神的)善意安排被视为社会好转的预兆。”(《安政大地震与民众》三一书房)这可以说是一种被动的“社会变革”态度,而非积极的改革。
北原强调“灾害带来的非日常状态”,并指出幕府的救济活动、市民和寺庙的施舍等,形成了一种近似理想乡的状态。当然,这并不会抹去人们死亡和火灾吞噬城镇的悲剧,但“在鲶鱼画中,灾害=地震并不单纯被视为祸事,而是如‘社会变革’、‘万代乐’、‘御代万代’等词所表现的对灾后新社会的赞美。”

続けて、「ほとんどの宗教が信者たちを誰もが直面するのを恐れているものに向き合わせる。死すべき運命、死、病、喪失、不確実性、苦しみ――人生は常にちょっとした災難であるとでもいわんばかりに」と述べ、「宗教は災難への準備――日々の災難をただ生き延びるだけでなく、それを落ち着いて行い、冷静さと利他主義でもって対処させる装置――と見なすことができる」と主張した。
このくだりにおいても、『私が見た未来 完全版』と奇妙に響き合う。「大切なのは、準備すること。災難の後の生き方を考えて、今から準備・行動しておくことの重要さを改めて認識してほしい」と書かれているからだ。
ソルニットのいう宗教は、社会を揺るがすほどの巨大な災害という危機を外部から注入してもらうことで、自らの最良の部分が覚醒させられ、その潜在していた力量がいかんなく発揮され、通常ではあり得ない物事を次々に成し遂げることができる――いわば「災害による自己変革」への期待に支えられていることは間違いない。
自己啓発文化の視点から捉えれば、それは「自己啓発の手段としての災害」と位置付けることができるだろう。
この圧倒的ともいえる受動性は「世直り」とまったく同じ性質のもので、内部からの契機は一切存在しない。「災害待ち」と言っても過言ではない。
このように見ていくと、予言ブームに乗っかってしまうわたしたちの熱狂の正体が明らかになる。と同時に、それが負っている課題の深淵も浮き彫りになってくる。
なぜ、日々の暮らしにおいて「それ」ができないのか、という率直過ぎる問いがせり上がって来るのだ。

接着,他指出,“大多数宗教让信徒直面那些每个人都害怕面对的事情:必然的命运、死亡、疾病、失去、不确定性、痛苦,仿佛人生总是伴随着小灾难。”并主张“宗教可以被看作是为灾难做准备的工具,不仅仅是为了每天的灾难中存活下来,而是要镇定自若地面对,并以冷静和利他主义来应对。”
这段话与《我所见的未来 完全版》有着奇妙的共鸣,因为书中写道:“重要的是做好准备。希望大家能够重新认识到思考灾难后的生活方式,并从现在开始准备和行动的重要性。”
索尔尼特所说的宗教,通过从外部注入足以动摇社会的巨大灾难,使自身最好的部分被唤醒,潜在的能力得以充分发挥,能够完成通常无法实现的事情,可以说,这是对“通过灾难实现自我革新”的期待。从自我启发的角度来看,这可以被视为“将灾难作为自我启发的手段”。
这种近乎绝对的被动性与“社会变革”性质完全相同,完全没有来自内部的契机。可以说是“坐等灾难”的状态。
如此看来,我们对预言热潮这么狂热的真相就显现出来了,同时,这背后的深刻问题也逐渐浮现。
一个过于直白的问题产生了:为什么我们在日常生活中做不到“变革”?


 
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